結婚式などの慶事の際にご祝儀に新札(ピン札)を入れてお渡しするというのは、多くの方に認識されているマナーであると思います。

しかし、お年玉はそれほど気にしなくても良いのでは?と思っておられる方が多いです。

新札のほうが良いけど、場合によっては旧札でもそれほど気にしなくても良いと思っているのではないかと思うのです。

私も最近までは、そう思っていました。

しかし、お年玉に入れるお札は新札(ピン札)を入れるのが必須だと思うようにった理由をご紹介させて頂きます。

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結婚、出産のご祝儀は新札


冠婚葬祭という場面で、お祝いごとである結婚祝い、出産祝い、卒業祝いなどには「ご祝儀」として、新札(ピン札)をご祝儀袋に入れてお渡しし、お葬式、お見舞いなどのおめでたくはない場面では旧札を入れて不祝儀としてお渡しするといのは、一般的なマナーとして定着しています。

これは、おめでたい場面では、そのお祝いする日がかなり前から決まっていますので、このときに普段は手元にない新札をお渡しすることで「このお祝いの日のために予め準備をしてきました」という心使いの意味があります。

しかし、不祝儀ではこの逆で、お葬式に新札を渡すと「この日のために予め準備をしてきました」という意味になり大変失礼になります。

そのため、旧札を使うのです。

しかし、お年玉はお祝いでもありませんし、そもそも新札を包む理由はどこにあるのでしょうか?

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年玉の歴史


そもそもお年玉とは、お正月という神道の行事の一つとして室町時代から引き継がれてきた慣習です。

もともとは、お正月に向けて正月飾りをし、昨年の秋に収穫されたお米で、お餅をつき鏡餅としえそれを年内にお供えし、元旦に山からいらっしゃる「歳神様」をお迎えするというのが、お正月という行事の目的です。

そして、鏡餅には元旦にいらっしゃる「歳神様」の魂が宿ると考えられてきたのです。

お正月が終わり、松の内の期間が過ぎると、鏡開きをしてそのお餅を食べます。

その流れからお正月には、お雑煮やお汁粉でお餅を食べるという習慣が今でも引き継がれているのです。

当初はこのお餅は、家族内で家族の長がみなへ配っていましたが、江戸時代に入るとこの慣習が庶民にまで広がり、やがて商人が奉公人へ品物やお金を渡すようになります。

これが更に、目上の者が目下の者へと、お金や品物を渡す習慣にその範囲が広がりを見せていったのです。

これがお年玉の歴史です。

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お年玉とは歳神様の魂を授けること


お年玉はお祝いではないので、その意味では新札であることは必須ではないと考えられます。

しかし、歳神様の魂が宿る鏡餅を割って、夫々に渡して食していたものが、お年玉になったという歴史があるのです。

お年玉とは、そこに歳神様が宿り、渡された子供達はその魂のパワーを授かり、今年1年の幸せと恵みを授かるのです。

その意味からすると、それが古いお札ではなく、新しいお札で歳神様の魂を授かるというのが、好ましい方法になります。

新たな年の生活に恵みをもたらす神事の中に、古いお札を使うというのは、その意味から目的に反するものです。

 

気にする人もいる


お年玉に古い使い古されたお札を入れた場合、気にしない人は気にしないでしょう。

私キアラも、お年玉に古いお札が入っていたとしても、特に気にもとめません。

しかし、ご祝儀のマナーの意味からすると、貰った側のお子様に対して、「全く気にかけていなかった」という意味に取る人もいます。

マナーに拘る人は、そのような捉え方をする方は一定割合いて、子供に渡したお年玉は、一旦親が預かるケースも多く、その場合その旧札をみて気分を害する人もいるというのは事実でしょう。

 

まとめ


ここまでの内容を次にまとめます。

まとめ

・結婚式などの慶事の際のご祝儀に新札(ピン札)を入れてお渡すのはマナー。
・お年玉は新札が望ましいけど、それほど気にしなくてよいというのが一般的な認識である。
・弔事には旧札を包むのがマナー。
・お年玉は、今年の歳神様を授かる神道の行事であり、それには新札がふさわしい。
・マナーを気にする人は、旧札だを気分を害する。

お年玉は、神道の行事であるという点と、新たな年を迎えそのスタートを切るにふさわしいのはやはり「新札」なのだと思います。

新札を包むという物理的側面よりも、お年玉の意味を多くの方が再認識し、みなが新札を包み新しい年に感謝し、今年1年を幸せな年にするという気持ちをもちながらスタートするという、精神文化が復活することで、より良い日本が生成されていくのはないかと思います。

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