私は「専業主婦」になるのがものすごく怖かった。
それは3年前の私は、専業主婦になどなってしまったらもうなにもできない、社会からは切り離された、ただただ今の夫に頼るだけの存在になってしまうと、思っていたのです。
この記事では、そんことを考えていた私が今どのような考えに変わったのか?またそうなるまでの経緯について、語りたいと思います。
目次
彼と出会い結婚
私は地方出身で、大学入学とともに東京に来て、そのまま就職し東京に在勤していました。
会社は大手メーカーで入社以来ずっと業績もよく、他のメーカーが世界での戦いで負け続けているなか、かなりの検討をしていました。
そのため、このままこの会社で頑張って、働いていけば、この先は大丈夫だと思っていて、職に関して将来不安はありませんでした。
それなりいうまっくいっていた人生でした。
入社3年目の25歳の時に付き合い始めた彼と、3年後の28歳の時に結婚しました。
部署は違いましたが、同じ会社の先輩でした。
彼は、ユーモアのセンスがあり、よくしゃべり、友達もたくさんいて、営業センス抜群の人でした。
そして、仕事もできる人でした。
私は、男には負けられないという意識が強くて、少々気が強いところがありました。
しかし、彼と会っていると、張り合うとうか、勝たなきゃとかそういう気持ちが全くわきませんでした。
彼はなんというか、楽しいことが好きで、私の楽しいところを見つけては、笑ってくれるのです。
私は、それほ人を笑わせたり、場を和ませるというようなセンスは全く持ち合わせていなかったにも関わらず、彼は「君は本当に面白くて、素敵な人だよ、、、」ってよく言ってくれるのです。
本題とから外れてしまったので、彼との関係については、これくらいしておきます。
3つの選択肢しかなかった
28歳で結婚し、以前からずっと器具していたことは、結婚・出産を経たときにどうすべきか?ということでした。
妊娠をした場合、産休を取らざるを得ない。
産休を取れば主力メンバーから外され、いわゆるコースアウト(出世、昇格・昇給しなくなること)することは、避けられませんでした。
私は超優秀というわけはありませんが、そこそこ仕事はできるほうで、プレゼンも得意でしたし、人間関係もそつなくこなし、うまく仲間を作って上手に立ち回ってきました。
できれば、第一線でバリバリ仕事をやっていきたかったし、もっと大きな仕事をしたいとも思っていましった。
ですので、産休したことによって、コースアウトすることには、納得できないと思っていました。
私の人生の選択肢は次の三つしかありませんでした。
- 出産したあと、第一線から外されても、それなりに仕事をつづけながら、共働きで子育てをする。
- 会社を辞めて、専業主婦になる。
- 子供は生まずに、会社で障第一線で活躍し続ける。
②③はどう考えても、ありえない選択肢でした。
つまり①しかなかったのです。
①は嫌でしたが「考え方次第で気持ちを切り替えることもできるはず」とも思っていました。
昇給・昇格ができなくても、日本国内の企業の中で比較すると、高い収入を得ることができますし、そう割り切って働けばよいし、しかも、責任も軽くなるので楽できるかもしれないとも思っていました。
※外国の給与水準はここ30年で1.5~3倍に増加しており、多くの国では日本と比較にならいほど豊かです。
②の「専業主婦」になることは、私のなかでは仮に1年間とかそういう期間限定だっとしてもいやでした。
「専業主婦」になった自分を想像すると、完全に社会から取り残された存在になると、感じていました。
ですので、たとえ1年とか2年間だったしても、取り残されのは恐怖でした。
今の会社の風土だと、出産→産休によって第一線から外されるのは必至だったし、かといって「専業主婦」という選択肢は絶対に嫌だったのです。
「専業主婦」になることに対する恐怖
私の母は専業主婦でした。
パートは色々とやっていましたが、母の人生の軸はやはり主婦でした。
母はそれなりに人生を楽しんでいるようには見えますが、それはあくまで父の収入があって、その傘下で生きているように私には見えてました。
(母とそういう会話をしたわけではないので、母の心の底にある本心はわかりません。ですので本当は心の底か人生を楽しんでいるのかもしれませんし、そうではないかもしれません。)
私は結婚して、パートナーの収入に依存して生きるなんて絶対に嫌でした。
依存したら人生負け、そう思っていたので、大学にも行きましたし、就活も頑張りそれなりの会社に入りました。
その考え方で、生きてきて今のところうまくいっていました。
しかし、人生はそう甘くはありませんでした。
強制的に「専業主婦」に
しかし、それはある日突然やってきました。
就社11年目にして、今までとは違う事業所に移動になってら1年弱のことでした。
私が所属している事業所がなんと、別会社化されてしまうということに、、、、、
つまり、今まで大企業の一員だった私は、中堅メーカーの一社員になったのです。
今いる事業所の全員が、会社から切り離されて、捨てられたという気持ちを持ちました。
そしてさらに、別会社化した1年目からいきなり業績が悪化。
某海外大手メーカーへの、部品の契約が、他のメーカーへと取られてしまったのです。
売上の40%がそのメーカーへの売り上げだったので、たちまち赤字へと転落し、会社はリストラ計画を発表。
既婚33歳で、出産はまだの私。
リストラ対象になりました。
まずは上司からその旨を言われ、人事部の担当者と面談。
どうやら、通常よりも退職金を少し上積みしてくれるという。
やめたくない、安定収入を失いたくないという気持ちが強く立ち上がってきました。
しかし、私は仮に人事部と交渉して会社に居残ったとしても、私に未来はない。
そもそもリストラの対象になったという事実が、私の胸に鋭いナイフが突き刺さったような、強烈な痛みを与え、自分の存在価値が根底から消失したような、無力さも味合わせました。
会社に残ったとしても、それは抜け殻のような私になる。
そんな気がしたのです。
私は、人事部のオファーを全部受けて、退社することにしました。
「専業主婦」からの脱出
会社を辞めてから、なにもやる気が起きず、少し仕事を探そうとするも、今までの給料の1/3~半分程度のものばかりでした。
そして、このタイミングで妊娠、、、、、
生理がこないし、つけないでやったという心当たりもありました。
あるとき思ったのです。
これって私「専業主婦」になったてこと。
私はものすごい恐怖に襲われました。
このまま、いい仕事見つからず、おなかの子が生まれて、このまま子育てに専念し、合間を見つけてパートなどの仕事をする、そんな日々を想像したら、怖くて怖くてしょうがなくなりました。
夫に、その話をすると、「仕事がしたかったら好きなだけ探そうよ、焦らなくていいよ」とは言ってくれました。
でも私って、それなりに仕事はできたけど、これっていう技能はありませんでした。
周りの人を上手に巻き込んで、仕事をうまく回していく力はありましたが、それは再就職でのアピールポイントとしては、とてもあいまいな能力です。
私って、なんだったんだろう。
結構頑張ってきたこの11年間。
そこにきて、妊娠した。
こともが生まれて、様子をみるしかない、しばらくは就職のことなんて考えられなくなりました。
私ってこれから数年もしかしたら、「専業主婦」として過ごすしかないの?
それはやばい、、、、、
出産後私は就職したくなかったのかも?
私は、出産して子育てに追われ始めた。
というか、子育てを理由に、就職のことは考えたくなかった。
主婦として存在してる自分に恐怖をかんじながら、ヤバイ「このままいくと社会から置いてきぼりになる、夫に依存する人生なんて死んでも嫌だ。」
初めての子育てで、職探しなんてできない。
「専業主婦」から出たい自分と、就活も、就職もしたくない自分がいて、その葛藤のなかにいました。
仕事から離れている期間が開けばあくほど、企業では通用しないポンコツになっていくという、強い恐怖感がありました。
そんな、もやもやした状態で、年月過ぎていきました。
在宅で仕事を始める
私は、在宅で仕事を始めました。
ネットで見かけた、クラウドワークス、ココナラ、という仕事を発注したい人と、受注したい人をマッチングするサイトがあることに驚きました。
会社員時代は、ビジネス領域において会社の仕事がすべてだった私。
フリーランスとして仕事をするなんて考えたこともなかったので、こんな世界があることを、わたしは知りませんでした。
それと、その年(2020年)から始まったコロナ騒動が拍車をかけているのか、在宅ビジネスの経済規模が拡大しているようにも思えます。
たくさんの仕事がありました。
そして、どれも会社員時代の給料と比較すると、安すぎるものばかりでした。
私が在宅でやってみた仕事。
- 営業企画受注
- ブログ記事のライティング
- チャットレディ
- YouTube動画の編集
- プレゼン資料作成
- マニュアル作成
- SNS集客
- ワードプレスのサーバー移行代行
色々やりました。
子育ての合間は、夢中で仕事するようになりました。
しかも、チャットレディ以外の仕事は会社員時代と比べて時給換算で1/3にもならない仕事ばかりでした。
一番どきどきした瞬間は、やったこともないのワードプレスのサーバー移行を8,000円で請け負い、ネットで調べながら必死で移行作業をやった時です。
納期までに、移行をちゃんとできなかったら大変なことに、、、、
でも、そうなったら、ひたすら謝ればなんとかなるしとも思っていました。
移行先サーバーへの書き込み時にエラーが出てしまい、なかなかうまくいきませんでした。
そのときは、移行作業に全部で24時間ぐらいかかりました。
時給にすると、8,000円/24≒333円
学生のバイトよりも安い時給になってしまいました。
色々やって気づいたこと
1年半ほどの間、子育てと在宅ワークに明け暮れる日々を過ごしました。
私は主婦になることが、ものすごく怖かったのですが、それは主婦というよりも、依存している自分が怖かったのです。
さらに、会社の従業員という立場は、私にとって会社に依存することだと深いところで感じていたという点に、私は気づきました。
自分が専業主婦になることは絶対にいやだったけど、表面的には就職することでそこから逃げ出せると思っていました。
しかし、そうなならないのです。
リストラされた時は、自分の存在が全否定されたような感覚がありました。
従業員にまたなってしまったら、また自分という人格を会社にゆだねることになる。
その会社から、いらないと言われたら、また人格を否定されたと感じる自分がいる。
もうそれはしたくないという自分がいることに気づきました。
なので、夢中で在宅ワークをこなしていたのは、もう就職はしないという内側から湧き上がる自分の気持ちがそうさせていたのです。
自分の得意なこと
私は、現在複数のブログを運営して収益を得ています。
月の収入は110万~150万ほどになっています。
在宅ワークをやっていて、自分が得意なことに気づき、それをビジネスにすることで、会社員時代よりも高い収入を得ることができるようになりました。
私はYouTuberみたいな、動画で面白い話をするような才能はありません。
しかし、読者の需要を予測して、企画を考えそれをブログサイトという形にして、文書を書いたり、外注ライターさんにお願いしてコンテンツ作成してもらうなどの、マネージメント能力ならあるという点に気づいたのです。
もう就職なんて一生するもんか!(笑)
人に使われる人生はもうまっぴらだわ!
在宅ワーク別の感想
わたしがやった、在宅ワークの感想を書きます。
営業企画受注
コンペ方式が多く、複数の受注希望者が企画書を作成→提出して、採用されたら3~10万円程度。
失注すれば、0円になり、受注できるならコスパは良い。
個人的には、なかなか受注できずコスパは悪かったです。
マーケティング関連業務をたくさんこなしてきたような、人におすすめ。
チャットレディ
私がやった在宅ワークでは、ダントツコスパNo1の仕事。
チャットでおじさん達と会話して、楽しませてあげる仕事。
とにかく、気に入ってもらいいかにリピーターを増やしいくか?がポイント。
リピーターの数と収入が比例するので、工夫と努力しだいで徐々に収入が上がっていきます。
チャットでの会話だという点と、短時間でも細かく報酬計上されるため、隙間時間を使って稼げます。
これは子育てママにはうってつけの仕事。
若くてきれいな子は、それだけで有利ですが、そうじゃなくてもやり次第でうまくいきます。
30代、40代女性へのへの需要もあります。
チャットレディサービスはたくさんありますが、時給が割とよいFANZAあたりがおすすめです。
ブログ記事のライティング
最初は稼げませんが、ライティングスキルがついていくとある程度は稼げます。
おすすめは、クラウディアというサイトで発注者(クライアント)を探しますが、狙いはズバリブログで稼いでいる発注者を探すこと。
その理由は、稼げる記事の書き方、記事タイトルの選定が自動的に身についてしまいます。
正直最初は単価が安くて、やってられませんでしたが、稼いでいる人のブログの記事を書くことで、その人のノウハウが、お金をもらいながらそっくりもらえてしまうので、こんなお得な仕事はありません。
私は、これがきっかけで自分でブログ運営して稼げるようになりました。
私自身を、従業員という依存から解放することができたのも、この在宅ワークのお陰です。
YouTube動画の編集
動画編集のスキル、作成スピードが上がれば、ある程度までは稼げる。
この仕事が好きで、スキルを極めれば高収入も目指せると思います。
私は、ある程度のところでやめました。
作業になれればだいたい、最初から1,000円~1.500円/h程度の報酬になります。
あとは、どれだけ動画編集のスキルを上げていき、受注する仕事の質を上げていくかで、報酬が決まっていきます。
発注者を探すなら、依頼件数が多く安定して仕事を見つけることができる「MOVIERU(むひる)」がおすすめです。
プレゼン資料作成
プレゼン資料の作成は、最初から1,500円/円程度稼げました。
しかし、この仕事はお勧めしません。
その理由は、スキルアップをしても単価アップにつながらないために、ずっと安い時給で働くしかないからです。
マニュアル作成
これも、プレゼン資料作成と似ています。
最初から少しは稼げますg、その後の収入アップへとはつながりません。
ですので、おすすめしない案件です。
SNS
私がおもにやったのは、企業アカウントの運用代行です。
コスメなどを販売している、企業のアカウントで、つぶやいたり、フォロワーからの質問に回答したりなどの仕事です。
報酬はだいたい1,200円~1,500円/h程度。
SNSでの拡散方法を学びたい方には、おすすめの在宅ワークです。
案件の中にには、特定の商品・サービスを拡販するプロジェクトリーダーとして、一手に担うような案件もあります。
ワードプレスのサーバー移行代行
やり方次第では、結構稼げます。
料金は、5.000円~10,000円/1サイトなので、作業効率を上げていけば、作業時間を2h程度までは短縮できます。
私の場合、数回請け負って怖くてやめました。
請け負った数案件は、エラーが出てうまくいかず、調べまくって対応してやり切りましたが、サイトによって、どんなエラーがでるのか、私には予測できないためやめました。
サーバーに関する基礎知識がないと危険です。
専業主婦ではないけど
専業主婦になることを恐れていた自分。
でも、主婦としての仕事も一部やっています。
掃除、洗濯、料理はそれなりにこなしています。
主婦とは一大事業ですよ。
経済的な評価・報酬がない一大事業だと思うのです。
私の息子はどう思ってくれているのかはわかりませんが、母親が家にいて、家事をしてくれていること、その風景、場面に温かみ、心の豊かさを感じてくれていたりするならば、それは労働としての価値を超えた、素晴らしさがあると思う今日この頃です。
おわりに
会社を辞めたら「専業主婦」になっちゃうというのは、もはや昔の話。
リストラにされて会社を辞めるまでは、仕事面においては会社一筋できた私は、フリーランスでやれる仕事がこんなにたくさんあるなんて、まったく知りませんでした。
私の親の世代はたしかに、女性が会社をやめちゃったらもう専業主婦になり、子育てに余裕ができたら、パートをして少しでも家計を助けるという生き方しかなかったのかもしれません。
しかし、いまやコロナの影響もあり、在宅でリモートワークをすることで、収入を得ることは十分できますし、子育て中だからそこそ出会えた仕事に、私は今取り組んでいでいます。
会社員時代、ビジネスマンとして優秀な夫には、仕事で勝てませんでした。
しかし、今夫より私のほうが1.5倍ほどの収入を得ていますし、これを増やし行くこともできます。
夫は最近俺もやめて、ビジネスを始めようかなどと言い出しています。
もし、リストラされなかったら、会社にしがみついている人生を送っていたと思います。
リストラに、ありがとうと言いたいです。