本日9月27日夜7時~、テレビ東京で「世界!ニッポンへ行きたい人応援団3時間スペシャル!」放送する。
今回の番組には、なんと’92の日本シリーズで3試合を完投し、イニング数30、投球数は430にも及んだ、ヤクルトスワローズの岡林洋一投手が再登場する。
昨年の12月にも、同じスペシャル番組がありました。
その時は、パラグアイで一緒に野球をやっていた、関さんという方を番組にお呼びし、なんとその場で白球での交流を34年ぶりにやったのでした。
岡林洋一さんは、パラグアイ出身のなので、そのとき生まれ故郷に帰りたくなったそうです。
その後、実際に帰郷して、当時の野球チームメンバーとの再開を果たしました。
そして、なんと、35年ぶりに当時のバッテリーを組んで、現役チームと対戦するということになりました。
その時のピッチングは、昔を彷彿させる「高速スライダー」を見せてくれます。
名前:岡林 洋一
生年月日:1968年4月11日
国籍:日本
身長:186cm
体重:79kg
出身校:高知商業
専修大学
プロ野球:ヤクルトスワローズ
1991~2000年
コーチ:ヤクルトスワローズ
2001~2004年
タイプ:右投げ左打
通算成績
防御率 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 試合 | 完投 |
3.51 | 53 | 39 | 12 | 175 | 31.8 |
★パラグアイ時代
14歳までパラグアイに在住し、それから家族の出身地である高知県へ戻る。
高校は高知商業。
2年生時のエース中山裕章の控え投手として出場し。
3年生時のエース・主将として第68回全国選手権に出場し、ベスト8
・1987年、専修大学に入学。
3年生の時東都大学リーグで6勝1敗をあげる。
史上最多となる31回目の優勝にエースとして貢献し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。
リーグ通算62試合に登板し28勝18敗、防御率1.85、248奪三振。
・1990年度ドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名で入団。
・1991年 抑え投手として活躍し、12勝6敗12セーブをあげる。
・1992年は開幕から先発へ転向して活躍。
西武ライオンズとの1992年の日本シリーズでは、第1・4・7戦に先発登板し、いずれも完投し、敢闘選手賞受賞。延長戦が2試合あったため、30イニング、430球を投げ抜いた。
・1993年は先発として登板するも、5勝目(4敗)を挙げたのを最後に次第に負けが込み。途中から約2カ月故障離脱。
・1994年はチーム最多の11勝を挙げた。
・1995年は8月に右肩と右膝を痛めて戦線離脱。
オフのには故障箇所を手術。
・1996年は一軍登板なしに終わった。
・1997年、シーズン通して1勝にとどまった
・1998年は一軍登板なし。
・1999年は中継ぎで879日ぶりの白星を挙げる。
・2000年は6試合の登板にとどまり、同年限りで現役を引退。
・2001年にヤクルトの二軍投手コーチに就任。
・2005年からはスカウトへ転身。
なんかこうやって経歴を見ると、西武との伝説日本シリーズ30イニング、430球で完投した試合なんかで印象が深いけど、結構たいへんな野球人生なんだなと思いました。
プロで活躍したのはたったの3年なんだよね。
これで、肩を痛めたというのは、なんとも残念です。
今では考えられない登用ですし。
当時の投球をみると、たまが早くて、力があり、すごく走っている。
スライダーがストレートと見分けがつかなくて、殆ど打てない。
〈岡林の初完封動画〉凄すぎて、誰も打てそうにない。
《出演者》織田信成、眞鍋かをり、高橋茂雄
《ゲスト》三宅裕司
《ナレーション》武田広、増田明美、神田沙也加