昭和の歌姫として、生涯歌手・女優として活躍し続けた美空ひばりさん(みそらひばり)さん。

歌謡界のデビューはなんと9歳のときで、生まれた時点で、この世界で生きていくことが定められたような方です。

そんな美空ひばりさんですが、生まれた家庭もそのことに関係してるるようです。

この記事では、美空ひばりさんの家系をしらべ、そこから見えてくるもをの考察してみる内容になっています。

また享年の美空ひばりさんの様子にも、触れてみたいと思います。

この記事を読んで得られること
  1. 美空ひばりさんの家系が分かる
  2. 美空ひばりさんの家系図が見られる
  3. 美空ひばりさん享年の様子が分かる

美空ひばりさんの父はどんな人

美空ひばりさんの本名は加藤 和枝(かとう かずえ)さんと言います。

魚屋「魚増」を営む父の加藤増吉さんと、母親の喜美枝さんの間に長女として生まれました。

父親の加藤増吉は栃木県河内郡豊岡村という農村の四男として生まれ、16歳のときに横浜にある魚屋へ奉公に出ました。

この磯子の魚屋へ奉公に出るまでには、なんとボクシングに夢中になりアマチュアボクシングチャンピオンになったほどの身体能力の持ち主だったそうです。

その後は、磯子区で「山新」という「魚屋」に奉公しました。

6年間仕事に打ち込み、22歳のときに暖簾分けしてもらい自分の店を持ち、「屋根なし市場」と呼ばれる横浜の下町で魚屋を経営していました。

加藤増吉さんは非常に多趣味多芸で、ギターを持ったら、浪曲、浪曲、都々逸、端唄などのを披露していて、ちょっとした町内の芸人として人気者だった。

魚屋を持ってから翌年(23歳)のときに、親戚の紹介で諏訪喜美枝さん見合い結婚した。

結婚後も加藤増吉は、滝頭庶民に親しまれた「屋根なし市場」で、唄に合わせた芸人として、少し有名だったようです。

加藤増吉プロフィール
  • 名前:加藤増吉
  • 生涯:1912年~1963年
  • 出身:栃木県河内郡豊岡村
  • 仕事:魚屋
  • 趣味:ボクシング、ギター、浪曲、浪曲、都々逸、端唄
  • 没:1963年2月1日(51歳)

美空ひばりさんの母加藤喜美枝さんはどんな人

美空ひばりさんの母は加藤喜美枝さん。

1913年に、東京都谷山(今の南千住)生まれ。

美空ひばりさんのうたの才能をに気づき、歌手としてデビューさせるための活動した、今で言うステージママの先駆け的存在です。

東京都谷町は生粋の江戸っ子気質の街でした。

貴美枝さんの母(美空ひばりさんの祖母)である諏訪シサさんは浪花節が好きでうたも相当にうまかった言われてます。

うただけではなく、芸事が大好きで、浅草や向島にある「劇場」に、喜美枝さんと子供たちを連れてよく行っていたようです。

これにより、貴美枝さん御本人と、幼き日の美空ひばりさんは、劇場で織りなされる歌と芸にふれる機会を、得ていたことでしょう。

貴美枝さんはシサさんの影響を受けて、子供の頃からレコード、プロマイド集めに夢中になっていたそうです。

祖母シサさんのうた好きと、うたの才能があったことが、貴美枝さんへ、りばりさんへと影響したのでしょう。

それが、9歳という極めて早い芸能活動デビューを実現した要因になっているのでしょう。

9歳の美空ひばりが誕生

父の加藤増吉が第二次世界対戦開戦にともない、海軍出兵にいく際に行った壮行会で、美空ひばりさんが「九段の母」という曲を歌ったときに、その素晴らしい歌声に出席者はみな感動して涙を流したそうです。

なんとそときはまだ6歳の和枝さん。

このときに、母喜美枝さんは、和枝の才能に気づき、芸能の道へと娘を送り出すことへの思いが生まれる。

そこからは、公民館、銭湯などの場で、うたを歌う活動を開始する。

その活動のなか、1947年に歌手の前座として舞台にたつ機会に恵まれ、それを機に9歳という若さで地方巡業をするようになる。

その翌年の1948年、「美空ひばり」とう芸名で活動を開始する。

11歳の「美空ひばり」が誕生した。

1949年には、コロムビアから「河童ブギウギ」という曲でレコードデビューを飾っています。

今でこそ、12歳という年齢でデビューするアイドルは普通にいますが、戦後間もない1949年という時代に、12歳でレコードデビューするというのは、考えられないことです。

弟の加藤 益男(哲也)さん

第一子、長女の美空ひばりさんには、弟が2人、妹が1人います。

第二子の弟は益男さん。

1957年に小野透の芸名で歌手デビューし、翌年1958年には映画「ひばりの花形探偵合戦」で俳優デビューも遂げています。

さらに1959年には「台風息子 花形三銃士」という映画でで初主演を務めました。

しかし、映画会社が解散したために、それを機会に小野透さんは芸能界を引退しています。

小野透さんは、山口組の舎弟頭だったことで、暴力団の組員であることから、美空ひばりさんがマスコミに叩かれます。

お子さんの和也さんは、美空ひばりさんの可愛がられ、後々には養子として迎い入れ、さらにはひばりプロダクションの社長に就任しています。

次男の加藤武彦さん

美空ひばりさんの次男は加藤武彦さんです。

1958年芸名を花房綿一、その後1963年に香山武彦と改名し、俳優、歌手として活躍しています。

1962年~1968年に朝日放送制作・TBS系列で放送されたテレビコメディ番組「てなもんや三度笠」では主演を演じました。

1982年には芸能界を引退し、飲食店経営をしています。

1986年に、42歳の若さで心不全によって死去しています。

末っ子の加藤勢津子さん

美空ひばりさんの妹は加藤勢津子さん。

4人の兄弟姉妹で唯一芸能界を避けたかたです。

美空ひばりさん死去後に歌手としてデビューしていますが、それまでは、芸能界へ足を踏みれる事はありませんでした。

勢津子さんもうたが大好きで、芸能界入を願っていたのですが、美空ひばりという圧倒的な存在に気圧されて、歌手としてのデビューを避けていたと思われます。

出れば美空ひばりさんと比較されるのは必至でしょう。

夫の小林旭さん

戸籍上美空ひばりさんは生涯独身を通していますが、大スターだった小林旭さんと今で言う事実婚をしています。

出会いは、「明星」という雑誌の対談。

その対談で、美空ひばりさんは一目惚れしてしまい、小林明さんを追いかけ回したそうです。

この結婚は山口組三代目組長の田岡 一雄氏によって、取り計らわれたと言われています。

小林明さんは、美空ひばりさんとの結婚に前向きではなかった。

そこれ、美空ひばりさんが懇意にしている、岡田一雄さんへ小林明さんと結婚したいと申し出をしたらしいです。

田岡組長の依頼とあれば、小林明さんとしては、断れるはずもないでしょう。

これは、1962年で、美空ひばりさんが25歳、小林明さんが24歳のときです。

結婚後家庭の良き妻として、一途に小林明さんに尽くすも、結婚に大反対だった実母兼マネージャーの喜美枝さん、そして仕事関係の人たちから、散々な介入を受けることになりました。

小林明は、ひばりさんに、家庭の妻としてそばにいてほしかったが、喜美枝さんと、関係者からすれ、ドル箱のひばりさんを、盗られた形になったことで、それは許されなかったのでしょう。

ひばりさんがうたで活躍して、もっと高みを目指すことが夢だった、喜美枝さんにとって、小林明さんは天敵でした。

それもあって、田岡組長によって、今度は別れるように言われた小林明さんは、それに従うしかなかった。

これによって、約2年の短い結婚生活は終焉を迎えました。

美空ひばりさん家系図

美空ひばりさんの家系図は次になります。

美空ひばりさんの享年

美空ひばりさんが『間質性肺炎』で亡くなられたのが、1989年6月24日。

ここまでの過去10年間をみると、それは平穏なものではなかったと推測します。

ヒット曲に恵まれないなか1980年代に入り、今でのスタイルから、新しい境地を模索しはじめ、当時話題のアーティストとのコラボレートにも挑戦し始めた。

ヒット曲から遠ざかっていたなか、1980年の「おまえに惚れた」、1982年「裏町酒場」は久々のヒット曲になっている。

このときあたりから、ひばりさんが親しかった人が、続いて亡くなっていいます。

親しい人の死去
  • 1981年:実母の喜美枝さんが転移性脳腫瘍により68歳で死去
  • 1981年:父代わりだった田岡一雄68歳死去
  • 1982年:親友の江利チエミが45歳で死去
  • 1983年:弟の加藤哲也が心不全のため42歳死去
  • 1984年:親交が深かった大川橋蔵が55歳で死去
  • 1986年:弟の加藤武彦が心不全のため42歳で死去

大切な人を失ったことから、控えめにしていた、お酒とタバコの量が、増えたと言われています。

1985年には、原因不明の腰痛に襲われ、さらには重度の慢性肝炎および両側特発性大腿骨頭壊死症にかかり、満身創痍の状態ながら、入退院を繰り返しながら不屈の精神で芸能活動をしていたようです。

まとめ

ここまでの内容を次にまとめます。

まとめ
  • 美空ひばりさんの父は加藤増吉さんは横浜市磯子区で魚屋を経営していた
  • 加藤増吉さんは、滝頭庶民に親しまれた「屋根なし市場」で人気芸人だった
  • 母の加藤喜美枝さんは、歌が大好きでひばりさんの才能に気づき、ステージママになる
  • 喜美枝さんは、ひばりさんをデビューさせ、死去するまでマネージャとして支える存在
  • 9歳のとき、地方巡業を開始
  • 12歳で「河童ブギウギ」という曲でレコードデビュー
  • 弟の加藤 益男(哲也)は山口組の舎弟頭だった
  • 加藤 益男(哲也)さんは、小野透という芸名で俳優、歌手でデビューし活躍する
  • 次男の加藤武彦も俳優・歌手でデビューし、活躍したのち1982年で引退
  • 末っ子の加藤勢津子さんだけは、芸能界を避けてきたが、ひばりさんが死去したあと歌手デビューした
  • 小林明さんと結婚(事実婚)するも、約2年で離婚
  • 享年は親しい人たちが続いて死去
  • 原因不明の腰痛、重度の慢性肝炎、両側特発性大腿骨頭壊死症にかかり、満身創痍の状態で芸能活動を続けていた

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