こいのぼりと子供の日の由来はどんなもの?子供に説明できるようになろう!

日本文化の一つであるこいのぼり。

童謡にもなっている「こいのぼり」とはなにかを分かっている人は意外と少ないです。

 

5月になると、各家々でこいのぼりが飾られ、風にはためくそ姿を見ながら、これって何の意味があるのだろうか?と思いながら、そのままになっている方は意外に多いのではないでしょうか。

かくいう私も最近までそうでした。

そして、その由来を理解すると、日本への理解が深まり、お子様へ「こどもの日」とはなにかを説明ができるようになるでしょう。

このコラムでは、こいのぼりの由来、端午の節句(こどもの日)が5月5日になった理由などをご紹介致します。

尚、童謡「こいのぼり」の歌詞の意味が分かると更に理解が深まりますので、次のコラムご参照ください。

↓こいのぼり関連コラム

こいのぼりの由来、鯉は立身出世の象徴


まずは、こいのぼり由来についてご紹介致します。

「こいのぼり」には、鯉とのぼりという2つの単語が入っています。

尚、のぼりとは旗の一種です。

「こいのぼり」は中国の伝説と日本の男児誕生の際の幟(のぼり)を立てて祝う風習が、一つになって生まれた、風習です。

中国の鯉が滝を登り龍になる伝説


多くの場所に生息している鯉。

公園の池、川などでと見かけますね。

中国に伝わる伝説に「鯉が龍門(黄河上流の、滝が連なる激流の場所)を、流れに逆らって登りきり天に昇って龍になった」というものがあります。

鯉の滝登りの物語で、「登竜門」という言葉はこの伝説から来ています。

鯉は非常に生命力の強い生き物で、餌がなくても何ヶ月も生き延びるほどで、長いもので数十年も生きます。

中国では龍は皇帝の象徴とされていました。

このことから、生命力の強い鯉(子供)が、激流に逆らい河を登り(困難にも負けず前に進み)、龍になる(立派に成長するという伝説を取り入れて、鯉を立身出世の象徴としてのぼりにして立てる習慣が生まれたそうです。

 

男児誕生の際は幟(のぼり)を立てて祝う


江戸時代には、将軍家で男の子が誕生した際に、家紋のついた幟を立ててお祝いをするという習慣がありました。

その習慣は、端午の節句(5月5日)に行われており、武家の間に浸透しながら、一般の庶民にも広がりました。

さらに、こののぼりに中国の伝説である鯉を描くことで、生まれた男の子が逆境にも負けず、上り詰めて竜のよう成功者になるようにとの願いを込めたのです。

これにより鯉は男の子が立身出世をする象徴となりました。

当時は和紙に真鯉(黒い鯉)の絵を描くものでした。

それが魔除けの意味で吹き流しをつけるようになり、明治時代に入ると緋鯉(赤い鯉)、昭和には子鯉(小さい鯉)が追加され今の3色のこいのぼりになったのです。

端午の節句とこどもの日


こどもの日(5月5日)端午の節句といいます。

この端午の節句は中国から入ってきた厄払いの行事です。

中国では旧暦の5月に病気が流行り亡くなる人が多かった時代がありました。
そんななか、同じ数字が続く5月5日は悪い意味を持つ日であるという言い伝えが広まり、端午の節句(5月5日)は、菖蒲門にさす、菖蒲を漬けたお酒を飲むことで厄払いをしていました。

菖蒲(しょうぶ)という草は、武道・軍事を大切にする武士である尚武(しょうぶ)と同じ読み方なのと、菖蒲の葉は先がとがっていて剣のようなので、それを象徴にし、男の子が誕生したら菖蒲を飾り付けて、成長を祝う行事になったとされています。

さらに強い香りがある薬草の菖蒲(しょうぶ)を、よもぎと一緒につるして厄払いをするようになりました。

これで、元気で一年間過ごせることを願っていたのです。

端午の節句は中国の厄払いで使われていた菖蒲(しょうぶ)と日本の尚武(しょうぶ)ということばが合っていることから、取り入れられた、語呂合わせで生まれた日本の慣習なのです。

 

端午の節句が5月5日になった理由は?


端午の節句が何故5月5日になったのでしょうか?

こどもの日は1948年に祝日として定められ、「端午の節句」という名称から「こどもの日」と言われるようになりました。

5月5日を今でも、端午の節句と言っている方もいます。

端午の節句の意味は、「端午」=月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味です。

つまり5月だけではなく5日だけでもなく、毎月初めの午の日が端午と呼ばれていました。

午は十二支で表すと5月になります。

干支

子(鼠) 11月
丑(牛) 12月
寅(虎) 1月
卯(兎) 2月
辰(龍) 3月
巳(蛇) 4月
午(馬) 5月
未(羊) 6月
申(猿) 7月
酉(鶏) 8月
戌(犬) 9月
亥(猪) 10月

当初は5月の最初の午の日に節句として祝っていました。

それが端午の午(ご)が、数字の5(ご)と同じ発音なので5日祝うようになったと言われています。

午(馬)は干支でいうと5月なので月は5月、端午の午(ご)と五が同じ発音なので、5月5日になったという次第です。

しかし、当時の日本人は語呂合わせが好きだったようです。

まとめ


ここまでお話しを次にまとめます。

(1)「こいのぼり」は中国の鯉が滝を登り龍になったという伝説と、江戸幕府将軍家が端午の節句(5月5日)に男の子誕生を祝う行事が合わさって生まれた。

(2)端午の節句(5月5日)は菖蒲(しょうぶ)という薬草を使う中国の厄払いの習慣を、日本の尚武(しょうぶ)ということばが合っていることから、取り入れられた。

(3) 端午の節句が5月5日になったのは、午(馬)は干支で5月、午(ご)の発音は五を意味するので、これらを合わせてこの日になった。

これらの、こいのぼりと端午の節句というこどもの日の由来を知ると、今までとは違った気持ちでお子様へこどもの日を祝うことができるかもしれません。

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