節分に「鬼は外!福は内!」と言いながら豆を蒔く風習には、「豆」と「鬼」という二つの存在が登場し、この二つが生まれた起源には複数の説があります。
日本の風習の特徴は、複数の要素が絡み合って生まれるものが殆なため、本当の起源が分かりづらいという面がありますね。
このコラムでは、節分の種まきに登場する「豆」と「鬼」がどのようにこの儀式の主要な要素として取り入れられるようになったのか?についての諸説をご紹介させて頂きます。
これを知ると、日本の風習とその歴史の背景にある、精神性の深さを垣間見ることができるでしょう。
目次
節分に豆を蒔く理由は?
節分に「豆」を蒔くというこの「豆」が使われるようになった理由、起源、歴史についての複数の説をご紹介致します。
豆に宿る穀霊に邪気祓いの力がある
古来の日本では、穀物に邪気を祓う力が宿っているとされ、五種の主要な穀物とされる五穀(米・麦・あわ・きび・豆)にも宿っていると考えられていました。
節分はそもそも邪気払をする日として重要な日で、鬼(邪気)を退治することで邪気払い効果があがると考えられていました。
この鬼を退治するのに、鬼の目に豆を投げつけるという儀式を行う習慣が生まれ、それにはお米ではなく豆が適していました。
お米を投げつけても、粒が小さすぎて鬼を撃退できないと考えたのでしょう。
穀物に邪気を祓う力が宿っているというのは、穀霊が穀物に宿るという日本だけではなくアジア全般にある考え方で、この穀霊とは精霊・霊魂のことで、穀霊信仰は万物に霊的存在が宿るとするアニミズムの一種です。
日本は稲作が盛んな国なので、稲に宿る精霊・霊魂(稲霊・稲魂)が、発芽→成長→成熟→枯死という一連のサイクルを繰り返す再生の過程を人間の生と重ね合わせて考える世界観の中で昔の人々は生きていたのでしょう。
語呂合わせ説
古来の日本では、鬼は、邪気の象徴でそれを退治することで、邪気祓いができるという考え方がありました。
鬼を魔者と考え、鬼の目は「魔目(まめ)」と呼び、この魔目を撃退することを「魔滅(まめ)」と言いました。
つまり、鬼の目を撃退して、魔を滅することができると考えたのです。
これらの発音は「まめ」なので、食べ物の豆を使って、鬼を退治すれば、魔(邪気)を祓うことができるという考え方が生まれました。
ちょっと強引な語呂あわせによって、邪気払いに豆が使われるようになったとう説です。
陰陽道
陰陽道とは中国の春秋戦国時代に生まれた陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想のことです。
節分には陰陽道の影響が色濃く残されていると言われています。
東洋医学の基本になっている「陰陽五行説」は、万物を「陰」「陽」に分け、「木・火・土・金・水」の5つの要素によって森羅万象が成立していると考えています。
「木・火・土・金・水」5つの要素の関係図
豆や鬼、疫病は「金」にあたり、「火」は「金」を溶かすので、豆を火で炒ることで、鬼や疫病を倒す効果があると考えられています。
豆まきに福豆(炒った豆)を使うのはそのためで、悪鬼退治、疫病退治、災厄退治の象徴になっています。
鞍馬山の二頭の鬼退治説
宇多天皇の時代に二頭の鬼を退治したことから生まれたという説があります。
平安時代に、京都の鞍馬山の奥深くに藍婆と揔主という二頭の鬼が住んでおり、その鬼達は都に押し入ろうと計画していました。
その計画を鞍馬寺の偉いお坊様が、毘沙門天のお告げによって知り、それを宇多天皇へ伝えたところ、天皇はその対策を練るために7人の陰陽博士を集めました。
そこで取られた策は、49人のもの達で3合3斗の炒り大豆で鬼の目を打ち、鬼の棲家を塞ぐ祈祷を行うというもので、それによって鬼は16個の目を失い逃げ帰りました。
この伝説で祈祷に使われたのが炒り大豆だったことから、邪気払いに使われるようになったという説です。
この手の言い伝えは他にもたくさんあるのでしょう。
節分に鬼が登場する理由
節分の豆蒔きにはなぜ鬼が登場するのでしょうか。
その一つにはすでに述べた、「語呂合わせ」「陰陽道」「鞍馬山の二頭の鬼退治説」がありますが、それ以外のものをあるので、ご紹介します。
中国伝来の追儺(ついな)という儀式
中国伝来の儀式に追儺(ついな)といものがあり、別名「鬼やらい」「大儺(たいだ)「駆儺 (くだ)」 とも呼ばれます。
古く中国で行われ,日本へは陰陽道(おんみょうどう)の行事として取り入れられました。
その内容は、方相氏(ほうそうし・ほうしようし)と称する呪師が熊の皮をかぶり、四つの黄金の目玉のある面をつけ、黒衣に朱の裳(も)をつけ、手に戈(ほこ)と盾(たて)とをもって疫鬼を追い出すという儀式で、平安時代において大晦日の宮中で盛大に行われていた行事です。
しかし、この行事は早くすたれ、豆まきをする行事と習合していき、鬼を退治するという共通する部分は継承されてきました。
鬼とは邪気の象徴
鬼には諸説あり、そもそも実在しない存在なので、色々な考え方捉え方が存在します。
そして、多くのイメージでは頭に二本の角があり、頭髪は細かくちぢれて、口には大きな牙があり、指に鋭い爪があり、虎模様のふんどしを締め、表面に突起のある金棒を持った巨大な男の姿でしょう。
そもそも鬼とういものは「得体の知れない」存在で「おぬ(隠)」という言葉から来ています。
隠(おぬ)は、元来姿が見えず、この世のものではないことを意味する言葉です。
この隠が鬼の語源になっており、見た目を変えて普通の人の姿で現れて人に悪さをすることができる存在でもあると考えられていました。
山奥で鬼が出たという伝説が多数存在するのは、私達がイメージする鬼とは限らず、人間にとって何らなの恐ろしい存在を表しているのかもしれません。
文芸評論家の馬場あき子さんによると、鬼は次の5種類に分類できると言います。
鬼の5種類
- 民俗学上の鬼で祖霊や地霊。
- 山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
- 仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
- 人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
- 怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼
鬼というイメージ上の恐ろしい存在が、節分という邪気払いが必要な時期に取り入れられたのは、とても面白い現象だと思います。
終わりに
節分に登場する重要な二つの存在である「豆」と「鬼」について、その起源・由来について書かせて頂きました。
節分の豆まきは、平安時代から始まった儀式なので、それ以降色々な時代を経て、それぞれの環境のなかで柔軟に変更と習合が積み重ねられて今の時代にも引き継がれている儀式だと言えるでしょう。